シリアルキラー

ヘンリー・リー・ルーカス

ヘンリー・リー・ルーカス 画像

ヘンリー・リー・ルーカスが生まれたのは1937年。母親の名前はヴィオラといった。母親の仕事は売春婦で、父親は事故で両足を失い車イスの生活をしていた。 この一家を取り仕切っていたのは、母親であるヴィオラであった。

まず、この母親の異常性について触れなければならない。

ヴィオラはルーカスが生まれる直前まで妊婦の腹を蹴り飛ばしてみたい男を募集したりしており、もし子供が生まれて、それが女であったなら母娘で共稼ぎするつもりで 娘が生まれたらよろしくと顔見知りにふれまわっていた。 だが期待に反して、子供は男であった。父は彼にヘンリーと名付けたが、ヴィオラは息子をヘンリエッタと呼び、女児用の服を着せていた。

ヴィオラは、ことあるごとに夫とルーカスを虐待し、気に入らないことがあると、角材で頭を殴りつけていた。幼かったルーカスは殴られて気を失い、病院に運ばれたこともある。

また、ルーカスに対する虐待の一環として、頭にチリチリのパーマをかけさせ、靴も履かせず女の子の格好をさせて3年間も学校に通わせた。

また、ある冬の日には、夫の存在をうっとうしく思ったヴィオラは、夫を車イスごと外に放り出した。そしてそれが原因で夫は肺炎を起こし、そのまま死んでしまった。

更にヴィオラは、ルーカスに向かって「お前は、あのラバが好きかい?」と尋ね、ルーカスが「うん。」と言うと、すぐにショットガンを持ちだしてきて、ラバを射殺してしまった。 当時幼かったルーカスは、よく母親の売春シーンを間近で見せられていた。

母親(ヴィオラ)が、あるお客とSMプレイをしていた時、その行為が終わった後、 ヴィオラは何か気に食わないことがあったのか、いきなりお客の股間めがけてショットガンを発射した。相手は即死し、すぐ近くにいたルーカスは、大量の返り血を浴びた。 後年ヘンリーは「母は、完全なきちがいだった。」と語っている。

また、ルーカスには兄がいたが、いつのころからか、その兄と同性愛にふけるようにもなっていた。、ある時兄が森で、ナイフで枝を切り払っていたとき、ちょうどそこにヘンリーが顔を出してしまい、ナイフが左眼球をかすめ、血がとびちった。 ヴィオラは我が子のこのような姿を見ても間抜けと嘲笑し、息子の左目の傷口をつついて楽しんでいた。

夏休みが終わり、登校したルーカスを見て教師たちが病院へ連れていったが、その時すでに眼球は危険な状態であった。 ヘンリーの不幸はここでは終わらず、教師が授業中いたずらをしている少年を定規でぶとうとしたところ、少年がそれをかわし、ルーカスの左目に直撃した。 すさまじい悲鳴が上がった。彼の左目は破裂していた。

ヴィオラは学校からの補償金でルーカスに安い義眼を買い与えて、残りはヴィオラの酒代に消えた。 このような環境で育ったルーカスは成長していくにつれ、その異常性はどんどん増し、完全に母親を超えることになる。

ルーカスは10歳で飲酒を始め、小学校には5年の時から行かなくなった。 急性肺炎で彼の父親が死んだ時彼は14歳で、すでにもう全てを失っていた。このころからルーカスの奇行が始まる。

13歳で窃盗を犯して刑務所へ入っている。そして出所してからは15歳で初めての殺人を犯す。犠牲者は17歳の少女だった。理由は「誘いを断られたため。」 という短絡的なものであった。

20歳で結婚して独立したが、ある時、あの鬼のような母親が、ルーカスの新居を訪ねてきた。 「妻にはこんな母親は見せたくない。」そう思ったルーカスはとりあえず母親を外へ誘い、人気のないところまで連れて来ると突然母親の首を絞め、そのまま絞殺してしまった。 そしてその後、すでに死体と化している母親の身体をナイフで何回も突き刺し、母の服を脱がせ、そして血まみれの母の死体を犯した。 彼は母親の喉を、ナイフでなめらかに切り裂いた。生まれてこのかたずっと聞かされていた金切り声が、ゴボゴボという空気の漏れるだけの音になった。彼は安心したが、充分ではなかった。もはやあの声は聞きたくなかったので、傷の裂け目に手を突っ込み、頚骨を引きずりだそうとした。 70%ほど頚骨が露出したところでやめ、ルーカスは母親を置きざりにして姿をくらました。

14時間後、なりゆきを心配した義姉が様子を見に来て、瀕死のヴァイオラを発見する。が、もう手遅れだった。 。 この事件はすぐに警察の捜査が入り、ルーカスはあっさり捕まった。そして第二級謀殺として実刑40年の判決を受けた。

だが、服役中、よほど態度がよかったのか、刑は短縮され、当局はなかば強引にルーカスを出所させてしまったのだ(当時、囚人ひとりにつき、年間2万ドル近くの費用がかかっていたせいもある)。

時は1975年。この出所を境に、大量殺人の幕は切って落とされる。

ルーカスは出所して数時間後には、もう殺人を犯した。彼はまだ、34歳であった。 その後は逃亡生活を続けながら一日5箱のタバコと強い酒、ジャンクフードで生き長らえながらえた。 殺す相手は若い女性に限らず手当たり次第。

後に逮捕された時、殺人をして「呼吸や食事と変わらない。」 と言い放ったルーカスは、人を殺すことにまったく躊躇することはなかったようだ。

殺し方も残虐で、まるで殺人を楽しむかのように、ピストルを突きつけ、相手の指を一本一本ナイフで切り落としていく。

また、タバコの火を肌に押し付けたりして、まずは拷問を行う。相手が気を失うとわざわざ正気に戻らせて拷問を再開する。そして最後に殺す。殺した後には必ず死体を犯した。

1976年。フロリダ州でルーカスはオーティス・トゥールという男と出会う。このトゥールという男はIQが75しかないような男で、 同性愛者の男とSEXしては金をもらって生活していた。 話をしてみると、子供のころ女装させられていたことや、親から虐待を受けたこと、そしてアル中であること・・。 次々と共通点が浮かび上がり二人は意気投合した。

しかし何と言っても一番合った点は、このオーティス・トゥールもまた、全米を放浪する連続殺人犯だったことである。

二人は行動を共にするようになり、各地を点々としては無差別に殺人を繰り返した。ルーカスが殺した人の数は、6年半で300人にも上る。

ルーカスが「家のドアを開け閉めするように」簡単に殺人を犯すのに対し、オーティスの行為はいかにも異常者らしい。彼は被害者の舌を切り取ってそれを保存し、弄ぶのが好きだった。

ところで、ルーカスが出会ったオーティス・トゥールには、ベッキーという名前の姪がいた。ベッキーは当時9歳の少女。 紹介されたルーカスは、30歳以上も年が離れていながら、このベッキーと肉体関係を持ち、そのまま一緒に行動するようになった。幼いベッキーを妻としたが、 殺人癖は全く治らず、相変わらず各地を渡り歩いて殺人を重ねていった。

ある時ルーカスはキリスト教に目覚めたベッキーと口論になった。ルーカスは、ベッキーに顔を叩かれた瞬間逆上し 、ベッキーの胸にナイフを突き立てて殺してしまった。殺した後はいつものように死体を犯し、死体を細切れにして周辺にバラまいた。 ついに最愛の人間までもその手にかけてしまったのだ。

ルーカスが逮捕されたのは1983年のことである。テキサス州の警官に、何でもない職務質問で止められたルーカスの車から、大量の人骨が発見された。

また、かつての相棒であるオーティス・トゥールは、フロリダで別件逮捕された。ルーカス一人だけでも300人以上殺している。 オーティス・トゥールと一緒に行動していた、あの6年半の間に殺した人の数は、二人あわせると膨大な数になることは容易に想像出来るだろう。

ルーカスは監房のなかで初めて宗教に目覚めてカトリックとなり、鉄格子越しに今までの自身が起こした捜査、解決に協力している。

この行為が『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクターのモデルになったといわれている。

ルーカスは「ヘンリー・ルーカス連続殺人事件特別捜査班」の正式メンバーとして、鉄格子の中から助言を行っていたが、2001年、テキサス州ウィリアムソン郡ジョージタウン刑務所内にて心臓発作で死亡。64歳没。遺体を引き取りに来た身内はいなかった。

ルーカスの言葉

「人間?それは俺にとってなんでもなかった、ただの白紙だった。」

「女は存在する必要がない。だから見つければ全て殺す。要するに俺はいいことをしたって訳さ。」

「殺人は息をするのと同じだった。」

「俺にとってセックスは最悪のものだった。俺を自然のままに受け入れてくれる奴などいなかった。セックスしたけりゃ力ずくだ。殺すしかない。」

「他人といると、緊張しちゃって落ちつかないんだ。ずっと人といるのに馴れてなかったからかな。ほんと、ずっと一人だったからね――話すのも苦手だな。医者ってさ、俺のこと、どこもおかしくないっていう奴、けっこういたな。でも俺みたいな低脳にだってわかる。俺はおかしいって、わかってる。だってそうじゃなかったら、あんなに殺しばっかりするはずないもんな。 でも仕方ないのさ。なにかが俺にそうさせるんだ。でもそれって治療できないんだろ? だったら、しょうがないじゃないか」

「人生のすべてがいやでたまらなかった。あらゆる人間が憎かった。なにもかもだ。俺は敵意の塊だった。好きなものなんか何ひとつなかった」

「切り刻んだし、吊るしたし、轢き殺したし、刺して、殴って……溺死もさせたし、あとえーと、磔(はりつけ)にしたこともあったっけ。魚みたいにおろして切り身にもしてやったよ。焼き殺したし、撃ち殺したし、あともちろん絞め殺したしね」


inserted by FC2 system